心のサイドブレーキをはずさないと、うまく運転できない

何をするにもやる気が起きず、いざやってみるとうまく行かない。
結果を急いで失敗したり、泥沼にはまってどうしようもない状態に陥ったり。

誰にでもある経験だと思います。
せっかく重い腰をあげたのにうまくいかないので、
結局自分は何をやってもダメなんだと思ってしまいます。

本当に自分はダメ人間なのか、何をやってもダメになる秘訣というのがあるのではないか、
そう考えている内、心の操縦と車の運転が似ているような気がしました。

車を発進させるには、まずエンジンをかけ、サイドブレーキをはずし、
ブレーキをはなしてアクセルを踏みます。

エンジンと心臓がイコールだとすると、人間はもうエンジンがかかっている状態です。
やる気を出すという意味でエンジンをかけるという言葉を使ったりしますが、
今はそういう意味では用いず、生きているイコールエンジンがかかっている、ということにします。

次はサイドブレーキをはずします。
テレビなどでドジな話の定番として、サイドブレーキを入れたまま運転しちゃった、
なんて話がありますよね。

サイドブレーキをおろしたままアクセルを踏めば、いつもより多くのガソリンを使っていつもより遅く進み、進める距離も短い。
サイドブレーキが壊れれば、走っている途中なら急にスピードが上がったり、
駐車をすればそこに止まり続けることができずに傾斜を下りだしたり。
とにかく良いことなんて一つもありません。それどころか、まわりを巻き込んだ大きな事故を起こすことだってありえるのです。

さて、人間に例えてみましょう。
もしも心にサイドブレーキがあり、それを解除せずに行動したとします。
すると、いつもより多くのエネルギーを使い、なかなか思い通りにことが運べず、
なかなか長続きせず、すぐにクタクタになってしまいます。

ふとした瞬間に心のサイドブレーキが壊れ、行動に歯止めが利かなくなったり、
止まるべきところで止まっていられなくなる。
こじつけのような文章で恐縮ですがどうでしょう?車に似ているとは思いませんか?

さて、心のサイドブレーキとはなんでしょう。
それは精神的に負荷がかかるようなものです。
例えば、両親の許可、先生の許可、上司の許可、などはイメージしやすいと思います。

両親の許可なく結婚、先生の許可なく外出、上司の許可無く契約、などなど想像するだけで脂汗が出ます。

私と同じように何をやってもうまくいかないと悩んでいる人、最近流行の言うことを聞かない部下、そんな人たちは実は、
普段の何気ない行動にも、誰かの許可が欲しいと思っているのではないかと考えました。

例えば欲しいマンガがあります。普通の大人なら何も考えずに買います。
今月の予算を考えたりはしますが、誰かに買って良いかなんて聞きません。

しかし、サイドブレーキのおりている人は、誰かに「そのマンガ買って良いよ」と言われたいのです。誰かに許可を取りたいのです。
これは、問題が起きたときに許可をくれた人に責任を押し付ける行為に似ていますが、
恐らくそこまでは考えていません。ただただ純粋に許可が欲しいのだと思います。

しかし、まさかそんなことでいちいち許可を取ることもできませんし、自らの意思で買うことになるのですが、サイドブレーキがおりたまま買うことになるので、何故か罪悪感がつきまといます。誰にも許可無く買ってしまったという罪悪感です。

この小さな罪悪感を積み重ねると、いざというときにガソリン切れを起こしたり、止まれなくなったり、急にスピードが出たりしてケガをします。
これが何をやってもダメな秘訣なのではないでしょうか。

心のサイドブレーキは自分で解除すれば良いのです。自分に聞いて、自分で許可を出してあげましょう。この本買っていい?いいよ。と、子供じみてはいますが、そのような自問自答をするだけで、自分の行動が大分軽くなると思います。
行動するときはサイドブレーキをはずし、休むべきときにしっかりサイドブレーキをかけ、
心も車も安全に運転しましょう。