生きる理由なんていらない

人はいつか死ぬ。地球も止まる。太陽も燃え尽きる。宇宙もきっとなくなるだろう。

どうせ最後は「無」になるのに、どうして生きるのだろう。
今やってることすべて最後の最後には無駄になるのに、どうして生きるのだろう。
生きる目的はなんだろう。

それがわからなくてずっとやる気が出ない時期がありました。
どうせ無駄になるんだからやってもしょうがないな、と思うとすべてにやる気が出なくなる。
このときのやる気の無さは、普通の人が「今日やる気ないな〜」程度の無さとは比べ物にならない。
かと言って死ぬ勇気もなく、どうしようもない。

死ぬにしてもちゃんと死ぬ理由が欲しいのだ。

でもそれは間違いだった。生きる理由も死ぬ理由も必要なかった。
理由ではなく自信の問題だった。
自信がないから、自分は本当に生きても良いのだろうかと不安になる。本当のところは生きる理由が知りたいわけじゃない、「生きて良いよ」という許可欲しい。
自信がないから、本当に自分は死んでも良いんだろうかと思う。誰かに「死ね」と言って欲しい。
でもそれはおかしくないか?
誰かに生きて良いよと言われたからなんだ、死ねと言われたからなんだ、他人の言葉に何の意味があるのだろうか。人にどうこう言われて生きてるわけじゃない。
結局のところ、生きる許可は自分が自分に出すしかないのだ。

寝る前に目を閉じて自分に聞いてみよう、「自分は生きて良いですか?」と。
そして答えよう
「生きて良いよ」と。

嫌なことされたら貸し、嫌なことしたら借り

イラッとしたときの心の整理法。

例えば歩きタバコ。臭い。ものすごく不愉快で、後ろからぶん殴ってやろうかと思う。
気が小さいからそんなことできないけど。
だけどやっぱり理不尽で、ぶつけようの無い怒りに駆られる。

そんなときは心の中で思う。「これは貸しだからな、後で利子付けて返せよ」と。

具体的な金額を決めても良いかもしれない。電車でうるさいの我慢してあげたら300円の貸し。
歩きタバコ我慢してあげたら1,000円の貸し。

逆に人に不愉快な思いをさせてしまったら「この借りは必ず返します、今回はご勘弁ください」と思うようにしよう。

そうして作った貸しと借りの差し引きしたものが今貯まっている徳。

借りを作りすぎて返済しきれなくなると人生が破綻する。誰も助けてくれなくなる。
歩きタバコはすれ違う人すべてに貸しを作っていくので、遅かれ早かれ破綻する。
そういう風に考えるようにして、なるべく徳が貯まるように心がけようと思った。

バカに関わらないこと

外に出ればイライラすることがいっぱいある。

歩きたばこ。なんで人が吐いた煙を吸わなきゃいけないのか。臭いし煙い。自分だけいい気持ちしてこっちは不愉快極まりない。
犬のフン。誰が靴代を弁償してくれるのか。
雨の日のすれ違い。なんでそっちは傘避けないんだよ。
歩きスマホ。何でこっちだけが道を譲らなきゃいけないのか。
チャリスマホ。輪をかけて危ない。視界と片手をふさいでフラフラする。
スマホ運転。もはや人殺し。注視してなきゃ捕まらないとか自分勝手なこと言ってるクズもいる。実際に人が死んでるんだぞ。
あおってくる車。事故ったらどうすんんだ。どうせ責任取る勇気もねぇくせに。
間に合わないくせに黄色でつっこむ信号無視。自分の都合優先。我慢ができない。
駅ですぐ降りない客。お前のせいで乗る人も遅れるから結果電車が遅れる。大迷惑。そういうやつに限ってチンタラ降りる。
あーイライラする。
気がきかない。周りが見えてない。まるで子供だ。

こういう人たちに出会ったときの対処法は一つだけ、「関わらないこと」

これがとても難しい。まるで理不尽な暴力を受けているようで、ぶつけようの無い怒りに爆発寸前になる。
しかし相手はそんなことにまったく気づかない、悪いとも思っていない。当然だ、意識すらないのだから。
そこでそんな人たちに注意したりしたらどうなるだろう。
人に迷惑をかけていると思っていないのだから、注意されたら怒る。こっちから見れば逆ギレだが、そうは思っていない。
何故怒られたのかわからない。そしてこっちを恨む。くだらない逆恨みを買うことになる。自分だけでなく、自分の周りの人に危害が及ぶかもしれない。

だからあきらめることが肝心だ。本当の子供ならまだしも、大人で子供ならもう手遅れだ。
怒りがこみ上げるということは、相手に何かを期待しているということの裏返しでもある。
だから何も期待してはいけない。運が悪かったとあきらめ、その場は我慢してやり過ごすのが最善なのだ。

どうせ色々な人に知らず知らずに迷惑をかけまくっている人間なんて、ろくな人生を歩めない。
ここぞというときに他人の助けを得られないから、必ずどこかで大きなハズレを引くことになる。
その瞬間を目撃できないことが非常に残念だが、あきらめるしかない。

我慢なんてできない、理不尽には耐えられないと思うかもしれないが、そんなことはない。日頃の習慣はあらゆるところで言動ににじみ出る。
苦労を重ねた人にはそれが見える。いつかどこかで我慢が実を結ぶことになる。
我慢したその場で結果が出るわけではないので、そこがとてももどかしいが、いつか人間としての豊かさに大きな差が出るのだ。

だからイライラに出会ってもぐっと耐え、関わらないようにしよう。自分もそうします。

簡単に手に入る個性

最近思うことがある。LGBTが叫ばれ始めるようになって1,2年くらい経つが、本当にそんなに多くいるのだろうか。

LGBTはデリケートな問題だから、他人から自分がLGBTだと告白されたら多くの人は何も言葉を返せないし確かめるすべもない。
下手な質問は相手を傷つけるかもしれないし、どんな些細な言葉が差別的に聞こえるかわからない。

だから逆に言えば、言ったもの勝ちの側面があると思う。「自分はLGBTだ」と言えば周りが特別扱いしてくれる。
誰も踏み込めない安全地帯が出来上がる。資格試験もない、長年の経験もいらない、お金もかからない、
言えばその場で手に入る個性、あっと言う間に少数の限られた人間になれる。

そう考えると、最近急激に増えた理由も説明がつく。要はほとんどにせものなのではないかと。
自分の個性に自信がないからレアなステータスが欲しいと思う。特別な存在にあこがれる。

しかしそれは解決方法を間違えている。レアなステータスを手に入れたところで自信はつかないからだ。
苦しみは消えない。本当に欲しい物は「自分が自分であるという確信」「自分には価値があるという感覚」だと思う。
にせもののステータスは自分をむなしくするだけばかりか、本当のLGBTの人たちにも失礼だと思う。
LGBTである苦しみと、自分に自信がないという苦しみは別物だろう。
だからその解決方法を間違えてはいけないと思う。

自分はLGBTではないが自信が持てなくて15年くらい苦しんだ。今やっと自分と向き合うことが出来てきている。
自分自身と向き合う方法は、別の記事に書いていこうと思う。