背中とは自分の見えない部分の比喩であり、両親の行動を観察することで自分の見えない部分を発見する

子は親の背中を見て育つ

と言いますが、この背中というのは何なんでしょうか?
多くの人は「生き様」という意味で捉えているのではないでしょうか。
私はそれだけではないと思います。

あなたはご自分の背中が見えますか?

見えませんよね?特に鏡無しでは絶対見えません。
では、「背中」を「絶対見えない部分」に置き換えてみましょう。

子は、親が自身では絶対に見えない部分、を見て育つ。

どうでしょう?そう考えると深い言葉だとは思いませんか?
そして、こんな言葉もあります。

子は親を映す鏡である。

背中は鏡がないと見えない、という方向から考えてみると、
この言葉は単に子が親に似るという意味だけではないようにみえてきませんか?
同じように言葉を置き換えるとこうなります。

子は、親が自身では絶対に見えない部分、を映す鏡である。

なんだかすごく深い言葉に見えてきます。

さらにこれを逆方向から見てみましょう。
子供側から見るのです。

自分は親の見えない部分をを映し取った人間である。と考えることができます。

自分で言っておきながらすごく嫌だなぁと思う発想なのですが、自分を知るためには両親を観察する。
そうすると今まで見えていなかった部分が見えてくるかもしれません。
両親と向き合うことはあるいは自分自身と向き合うより気分の悪いことかもしれませんね。
自分探しは険しい。

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