どうせ死ぬのだから、どうせ地球は無くなるのだから、
太陽は燃え尽きるのだから、すべて無に帰すのだから、
生きる意味なんてない。
最終的にすべて無になるのだからやること成すことすべてが無になるのだから、
何のために生きているのだろう。
何をしても無意味なのではないのか。
毎日そう思いながらも生きていますが、本当につらいです。
何をするにもやる気が起きないのです。
世の中の人はこのつらさを乗り越えて勉強したり仕事をしているのだと思うと、
本当にすごいなと尊敬していますが、
反面、本当に誰もがそれを乗り越えて生きているようには到底見えませんでした。
そこまで考えてないんだろうなと見下すこともありました。
しかし、色々な本を読んでいて、
世の中の人が反対のことを考えているということに気付きました。
どうせ死ぬから無意味とはまったく逆の、
死があるからこそ尊く、また死があるからこそ生きるに値する
という考え方です。
自分と同様のつらさを乗り越えているわけではないという発見でした。
私と同じ考えを持って苦しんでいる人には驚きだと思います。
同じつらさを体験していないから勉強できるのか、仕事ができるのか、
努力ができるのか、やる気があるのか、楽しそうに生きていけるのかと。
そして内心では、私もそうですが、そんなの幻想だと思っているでしょう。
しかし、頭から否定するにはもったいない。
苦しみから逃れられるのなら様々な可能性を考えたい。
この死があるからこそ尊いという考え方から何かヒントはないでしょうか。
何か生きる意味を見つけられないものでしょうか。
そして悩んだ末、ある考えが浮かびました。
最終的には無に帰すのなら、すべてが無なら、
最初から何も生まれないのではないか、と思いました。
なんの目的もなく宇宙が生まれ、太陽が生まれ、地球が生まれ、生命が生まれ、自分が生まれたのでしょうか。
すべてが無意味なら最初から何も生まれないのではないでしょうか。
心の奥ではそれをわかっていたから、頭で無意味だと考えていても、
自殺もせずになんだかんだ生きてきたのではないでしょうか。
ならば自分が生まれた理由はあるのかもしれない。
宇宙が生まれたのと同じ理由で自分は生まれたのかもしれない。
まだ答えは見つかっていませんが、
もう少し考えてみる価値はあるだろうと思いました。