人はいつか死ぬ。地球も止まる。太陽も燃え尽きる。宇宙もきっとなくなるだろう。
どうせ最後は「無」になるのに、どうして生きるのだろう。
今やってることすべて最後の最後には無駄になるのに、どうして生きるのだろう。
生きる目的はなんだろう。
それがわからなくてずっとやる気が出ない時期がありました。
どうせ無駄になるんだからやってもしょうがないな、と思うとすべてにやる気が出なくなる。
このときのやる気の無さは、普通の人が「今日やる気ないな〜」程度の無さとは比べ物にならない。
かと言って死ぬ勇気もなく、どうしようもない。
死ぬにしてもちゃんと死ぬ理由が欲しいのだ。
でもそれは間違いだった。生きる理由も死ぬ理由も必要なかった。
理由ではなく自信の問題だった。
自信がないから、自分は本当に生きても良いのだろうかと不安になる。本当のところは生きる理由が知りたいわけじゃない、「生きて良いよ」という許可欲しい。
自信がないから、本当に自分は死んでも良いんだろうかと思う。誰かに「死ね」と言って欲しい。
でもそれはおかしくないか?
誰かに生きて良いよと言われたからなんだ、死ねと言われたからなんだ、他人の言葉に何の意味があるのだろうか。人にどうこう言われて生きてるわけじゃない。
結局のところ、生きる許可は自分が自分に出すしかないのだ。
寝る前に目を閉じて自分に聞いてみよう、「自分は生きて良いですか?」と。
そして答えよう
「生きて良いよ」と。