生きることは「権利」なのか、生きなければならない「義務」なのか

「生きる」ことは「権利」か、それとも「義務」か。

もし権利だとすれば、放棄することも自由。
もし義務だとしたら、死ぬまで続けなければならない。

生きる権利。
この世に生を受けたこと自体、それだけで尊い財産であり、誰であろうと他人の財産を奪うことを許さない。
奪うことは許されないけど、売ることも捨てることもできる。

生きなければならない義務。
この世に生まれてしまった以上、どんなに理不尽でもその役割をまっとうせねばならず、
寿命が尽きるまで生きなければならない。途中で放棄することは許されない。

どう考えれば生きるのが楽になるか。死ぬ理由が見つかるか。

権利か、義務か、どちらの考えを受け入れたときより気持ちが楽になるか。
どちらが正しいか。実はどちらでもない。
何故なら、本心はそんなことどうでも良く、結局生きるのがつらいから、つらさを少しでもやわらげるような、自分をホッとされられるような考えにすがろうとしているだけなのだから。
欲しいのは生きるための言い訳で、生きるのが楽になる方法で、とにかく苦しみから救われることが大事であって、権利か義務なんて本当はどっちでもいい。

そもそも権利だの義務だのは、人間が文明を持った後から考え出した概念に過ぎず、
権利や義務という概念が存在する前から人間は生まれて生きてそして死んできた。
今さら権利だから生きるとか、義務だから生きなければならないという風に思っても、何の解決にもならない。

後付けの概念で「生きる」理由を探してもダメ。
深く考えず「生まれたからとりあえず生きる」程度で良いのだと思う。
本当に欲しいものは「生きて良いよ」っていう許可だから、
「生きる」ための言い訳を探しても、ずっとつらいだけです。

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