普通でいいんだよ。
の、普通とはいったい・・・
人間は「普通」の状態から離れると、嫌われ、疎まれ、妬まれます。
人間は集団を形成して生きる社会性の生き物だから集団行動からはずれるような行動をとる人を本能的に嫌うのかもしれません。
集団がバラバラになるということは、集団の死を意味し、
社会性を失った人間は一人一人では生きていくにはあまりにも弱いため生きていけません、
つまり集団の死は個人の死をも意味します。
生き物として死を避けることは本能なので、つまり人間は本能的に集団を守ろうとするのではないでしょうか。
集団が集団として持っている性格、それこそが「普通」と呼ばれるものではないでしょうか。
100人の集団がいて、99人が裸だったら、それが普通。
1人だ服を着ていれば目立ってしまう。
集団の中で目立つということは、集団の中で特殊な存在であるということ。
集団は特殊な存在を排除しようとする。
特殊な状態が広がり、51人が服を着れば今度はそっちが「普通」になってしまう。
50人対50人に分かれたらどうだろう。集団は2つに分かれてしまう。
普通を奪われること、集団が分かれてしまうこと、集団が分かれることは死の可能性を意味し、死がが怖いのでそれが起きる前にその芽をつぶそうとする。だから特殊な存在を排除しようとする。
逆に、集団に属している人間個人はそういった集団の排除機能を知っている。
そのため「普通」に対して疑問を抱いたところで、それを言わない、実行しない。
排除されるのが恐いからだ。
裸はおかしいなんて言えない、言えば追い出されてしまうから。
しかし、良く考えてみましょう。
同じことを考えている人間がいるのではないでしょうか。
追い出されたところで、死ぬわけではない。他の集団に合流すればいいのです。
自分の言いたいことを言おう、必ず同じ意見の人がいるから。
だから、普通でなくてもいいのだ。
※裸でいよう、と言いたいわけではありません。服は着ましょう。
言いたいことを言おう、と言いたかったのですが良い例が思い浮かばなかったので。