自殺してはいけないよ、と言うのは正確ではないと思います。
自殺とは死にたい人が死ぬわけではなく、何かに追い詰められその結果として死を選ぶことです。
だから、自殺を「させては」いけないよ、というのが正確な注意ではないでしょうか。
これは死を選ぼうとしている人に言う言葉ではありません。
誰かを不当に追い詰めている人間に言う言葉です。
前々から思っているのですが、自殺は卑劣な殺人なのではないでしょうか。
例えばAがBを銃で撃ち殺した場合、Aは殺人犯、Bは被害者、銃は凶器です。
しかし、AがBを自殺に追い込んだ場合、Bは自殺、で終了です。
おかしい。
この場合、Aは殺人犯、Bは被害者で、凶器はBではないでしょうか。
Aは自分の手を汚さずにBを殺した。
凶器は他ならぬB本人。あまりにも卑劣です。
自殺者が3万人を超えたということは、少なくとも3万人の殺人犯が野放しにされているということです。
自殺する人を減らそうなんて、考え方がそもそもが間違っていて、
自殺へと追い込む状況を作らないようにすること、それが急務だと思います。
自殺に対し、尊厳死という言葉があります。
尊厳死は、病気等で近い将来に死が待っており、その病状等の苦痛から逃れるために死を選ぶことです。
尊厳死は認めるべきだと考えています。
病気の激痛に苦しみ、薬の副作用に苦しみ、歩くことはおろか本を読むこともできず、
しかしそれらの苦痛を耐えたとして、待つのは死です。
耐え抜くことでまた元気になれるのならば人は苦しみと闘うことができます。
耐え抜いた=死、を意味する状態にあるのであれば、では何のために苦しみと闘うのでしょうか。
もし私が不治の病にかかりその様な状態になったとしたら耐えられません。
看病する家族にも迷惑をかけるでしょう。友人も心配するでしょう。憐れむかもしれません。
そんなときは潔く死を選びたいです。
尊いのは命だけではないのですから。