やる気がでない、目の前にある楽しいことをしてしまう。好きなことにしか集中できない。
本能のままに行動してしまう。
本能は人間が社会生活を営んでいることを考慮しません。
そのため短期的、短絡的で計画性がまるでなく、たとえ計画をたてても即挫折し、
今が楽しければそれで良いという発想にすり替わってしまいます。
そして後に残った後悔と言う残念な結果だけは理性に持たせ、本能はまた楽を求め始めます。
理性は長期的にものを考えることができるし、社会で生きていく上での計画をたてることもできる。
将来の不安材料もわかっているので、将来報われるのなら今苦労しても良いと考えることができます。
しかし、本能は強い。
本能は理性をやりこめる方法を本能的に知っています。
「どうせ報われないんだからやっても意味無いんだよ」と理性に語りかけるだけでいい。
本能は結果主義なので、結果が良ければすべて良い。
死ななかった、という結果があればなんでも良いのです。だから楽しいことだけ、楽なことだけやっていれば良いと理性に語りかけます。
苦労して報われる前に死んでしまうことを、本能は怖れているのかもしれません。
理性は何主義だろう。理性は過程を大事にするのではないでしょうか。
例えば、大きな買い物をするために一生懸命働いたとき、目的物よりも頑張ったことが大事。
資格取得における勉強。資格ではなく、その過程である勉強が大事。
できあがった絵ではなく、描く過程が大事。
結果に向かう過程が大事。
だから報われなくてもやる。報われるというのは、結果として現れるという意味なので、
結果が現れなくても、つまり報われなくてもその過程を経験したことの方が大事なのではないでしょうか。
だから本能から見れば報われなくても、理性的には着手した時点で既に報われているのです。
やっても意味ないなんて思わないことが本能に克方法なのではないでしょうか。
結果がどうなるかなんてわからないし、どうでもいい。
どんなささいなことでも良い、何をしたか、が大事。
どうせ報われないなんて思わなくていい、もう報われているのだから。
因果応報とはそういうことだと思います。